穴水町 あなみずまちの4月

仮設住宅が次々と完成して入居が始まった。

中でも一番規模が大きいのが由比ヶ丘団地

山の上にある陸上競技場のトラックに約160世帯が建設される。

4月の初旬に半分、下旬に半分の入居が始まる。

      

市街からちょっと離れた山間部などは集会場の敷地内に仮設住宅が建設されることが多い。

下唐川地区もその一つで避難所でもある集会場の横に仮設住宅が2棟ある。

      

このような仮設住宅はその地区の方々が入居することが多いので

入居日は地元の方々が集まってお手伝いをしていて賑わっている。

街中の避難所はいろいろな地区の方が入居しているので

入居日は淡々と荷物を運び入れている姿が多い。

近所付き合いがはじめの一歩であり、一番むつかしいとこでもある。

その接着剤の役目を自分達のような生活支援系の団体が担うことになる。

    

川島第3団地は由比が丘団地に次ぐ規模が大きい仮設住宅

ここでボルシチの炊き出しが行われた。

当団体の事業の中でウクライナから避難している方々への支援活動がある。

このウクライナの方々が名古屋から駆け付けた。

  

イベントを通じて仮設住宅内のコミュニケーションを図ることも必要

     

これからはイベント開催のほかに、避難所から仮設へと環境が変わり健康状態が不安定になり

がちなので訪問活動も重要となる。

   

宿泊拠点はようやく水回りが復旧し、トイレやシャワーが使えるようになった。

鹿波地区にあるので「かなみハウス」と命名した。

活動拠点のプルートから30分弱かかる海辺の静かな集落

道中は自然を満喫できる。

       

しばらくはここから毎日通うことになる。

  

そんな4月の中旬、春を告げる雷、春雷?が鳴り響いた。

これ夜の8時過ぎ

iPhone8のカメラではこれが限界で稲妻は写らなかった。

    

桜が咲き春が来て

あれよあれよと言っている間に暑い夏になると思うと

憂鬱になってしまう。

     

穴水町 あなみずまちの3月

3月になり避難所が次々と閉所になった。

水が通るようになると

自宅へ戻る方が増えて閉所になることが多い。

開設中に見守っていたおばあちゃんやおじいちゃん

在宅避難に変わると目が届かなくなるのも事実

せめて仮設住宅が建設されるまで

避難所は維持してほしい。

   

その一方、3か所で仮設住宅がオープン

支援物資の家電などの運び込みと入居が始まった。

仮設住宅は使い勝手が悪いところもあるので

昨年の珠洲市の時のように棚を取り付ける算段をしている。

入居者の中には

軒が短く雨が降り込むので長くしている猛者もいる。

元大工

穴水町での師匠としたい。

     

3月20日に

今まで宿泊拠点としていた学童保育所が再開するので

明け渡しになった。

それまでに対応策を考えて臨んだが

アクシデントはつきものだった。

当初予定していたボランティアさんの宿泊とスタッフの事務所を兼ねた新拠点で

浄化槽の不備が見つかり下水が使えないことが判明

急遽ほかの物件をあたり

七尾市に設けることになった。

何年も使ってない部屋は

ほこりだらけ、隙間風ぴゅーぴゅー

半日で何とか泊まれるようにして

ボランティアさんの宿泊場所は確保された。

自分たちは下水が使えない拠点で

またまたトイレが流せない凝固剤使用の生活が始まった。

やれやれ・・・

だけどここの拠点は眺めがよくスタッフ用の個室もあり

トイレが使えなくても今までの雑魚寝に比べれば快適、楽園だと思う。

    

ただこの楽園には

滅茶苦茶狭い道を通り、滅茶苦茶狭い坂道を上がなければならない試練がある。

珠洲市

珠洲の惨状はテレビで見た通りだった。

昨年仮設住宅での棚取り付けの際にお世話になった

材木店の二代目を訪ねて行った際に

立ち寄った避難所で見つけた、きっと

日本一綺麗な仮設トイレ

               

厳しい環境の中

ほっこりする文字と内容

書いた人のセンスがうかがわれる。

    

中心街はやっと車が通れるが

危険が多くあまりのひどさに心が痛む。

     

穴水町 あなみずまちの2月

1月から常駐スタッフ二人で活動の手配やマッチングをしているが

2月末に一人スタッフが増えたタイミングで名古屋に戻った。

中3日で穴水に帰る予定

悲惨な状況はテレビで放映されているので

活動のスナップ写真を掲載

         

       

のとさとやま海道は徳田大津以北は通行止めだったが

北行きのみ開通

現在は輪島まで行ける。

いたるところ道がうねり

急場しのぎで作った脇道など輪島、珠洲へ行くために

なんとか開通させた。が正しいか

      

    

一般的に災害ごみと言われるが穴水では片づけごみになっている。

被災した方に配慮して名称が変わったようだ。

ごみ?

ずっと引っかかっている。

     

   

プルート避難所では環境整備も整い共有スペースではいろいろな行事が開催されている。

名古屋から駆け付けたマッサージ店のスタッフたち

      

   

所属するレスキューストックヤードのボランティア募集

    。

   

穏やかな海

しかし地震発生直後津波が押し寄せ右側の商店は床上まで波がやってきた。

         

   

罹災証明の申請手続きなどが始まるも高齢者はどうしていいのかわからない。

各種申請手続きの説明会を開催

避難所まわりのおまわりさんも熱心に耳を傾ける。

         

    

プルート職員の机の上

カロリーメイト、マスク、災害セット・・・

激務・・・

        

足湯で行った小又避難所横の神社

平成9年の能登半島地震の際は倒壊したが今回は無事だった。

      

   

寝泊まりしている拠点はお休みしている学童保育を借りている。

車をとめるスペースは限られている。

完璧な駐車

車の展示場みたい。

        

「負けんげん穴水!」のステッカーもらった。

       

   

野口健さんが救援物資として寄付してくれた「ラップポン」

用を足して凝固剤を入れてボタンを押すと空気を抜き開閉部を圧着してポン!とでてくる。

今までトイレの世話が大変だったがこれで楽になる。

        

   

段ボールベットは高齢者には特に必要なアイテム

プルート避難所の炊き出し基地

最初は自分たちが外にテントをはって炊き出しをしていたが

食材を届けに来てくれた関東のグループが見かねて?炊き出しを申し出てくれた。

お言葉に甘えて炊き出しをまかせたところ、滅茶苦茶できる人たちで

現在では穴水町のセントラルキッチンを立ち上げ運営している。

必要な避難所にデリバリーもしている。

これは全国初の試み

食材費は災害救助法の食糧費

地震で仕事のない地元の料理人を雇う。

まさに救世主の料理人

       

簡易水道の整備手伝いの取材

                

2月の中旬に昨年支援に入っていた珠洲市へいった。

その状況は別で・・・

穴水町 あなみずまち 現地から

報道では見られない画像をコメントほとんどなしでup

避難所プルートを拠点として活動

    

山奥の避難所へ 撤退・・・

      

積雪10センチ

       

毎日の自衛隊の補給

物資拠点

自衛隊の野営所

       

断水

トイレの汚物袋と凝固剤

      

消防車で渋滞

     

社協事務所奥の寝床

地震が来ても大丈夫なように両脇に机を配置

ごはん

      

プルート掲示板

       

仮設トイレのフックつくり

      

プルート2階の図書室

       

山の中の避難所 携帯中継基地

        

能登電の鉄道マン

      

       

コロナ検査 陰性

       

海沿いの避難所

天気がころころ変わる

       

プルート みんなで雪かき

      

段ボールベットの材料

       

うちのボス NHK日曜討論

まさか・・・

緊急地震速報で正月は終わった。

震源地は能登半島輪島市沖

年末まで支援に行っていた珠洲市

そして宿泊拠点にしていた輪島市

どちらも甚大な被害が予想された。

大津波警報、火災発生、テレビのニュースでは想像以上の被災状況

所属NPO「レスキューストックヤード」から

体制が整い次第先遣隊として出動するとの連絡

今回の支援地区は2007年の能登半島沖地震の際に支援に入った穴水町に決定した。

1月3日早朝の出発となった。

メンバーは自分を含めたスタッフ2名と最強ボランティア2名の4名

穴水町まで携帯ナビで検索すると

こんな状況で使い物にならない。

北陸自動車道は金沢周辺から通行止、東海北陸自動車道は早朝に通行止解除で高岡まで通行可

能登半島を縦断する能登里山街道は全線通行止

一般道は車両が走行した情報が瞬時でわかる「通行実勢情報」

(下は現在の通行状況、車両が走行している道は台数により色分けされる。)

(当日は能登半島は国道249号線がかろうじて色がついていた。)

これらの情報から

一宮IC(東海北陸自動車道経由)高岡IC→(県道経由)→七尾市→(国道249号線)→穴水町

のルートが最善と判断した。

車はハイエースで燃料の軽油は名古屋で満タンにしたが、寒冷地仕様軽油ではない。

雪国では凍ってしまう。

よって北陸道と東海北陸道が交わる小矢部ジャンクション手前の

徳光IC(富山県)で一度降りることにした。

結局

ドラッグストアの水は売り切れ

災害地の雰囲気を感じた。

予定のルートで七尾市入り。

マックもスーパーも平常とおり営業していたが

七尾市役所を過ぎたあたりから

ガソリンスタンドの長い行列、道路の亀裂、電気が消えている地区など

平常時と違ってきた。

片側一車線の国道249号線を北上するにつれて日暮れと街路灯の消灯により

あたりは真っ暗になり雨が降り始めた。最悪の展開…

途中、道路陥没により迂回を余儀なくされ迷子になり挙句の果て

道路損壊によって進めず100メートルほど狭い農道をバックするという

アクシデントもあったが、ようやく穴水町に入った。

このころから渋滞がひどくなりほとんど動かない。

応援の緊急車両、災害救援車両、物資搬送トラックが先のほうまで数珠つなぎ

七尾市から平常時なら40分程度の道のりを3時間ほどかけて

穴水町市街に到着した。

名古屋から補給時間を含めて9時間ほどの道のりだった。

    

この日は社協とボランティア活動のリーダー的なTさんと調整をとる予定だった。

Tさんのお宅は山沿いの集落で、道はいたるところ崩れ亀裂が入っていた。

相変わらず外は雨と時より雷鳴が聞こえた。

Tさんと調整や情報収集をして社協へ転進しようと思ったところ

来た道の一部が崩れたとの情報

Tさん宅で急遽泊まることになった。

頻繁に余震があり緊急地震速報が鳴りっぱなしの状態

車中泊ではなく屋根のある所で泊まれることに感謝

マットとシュラフで就寝

     

翌朝、天気が回復し道も今なら通れるとのことで出発準備

無駄なく積まれパッチワークのような彩にしばし見とれた。

    

街に入ると多くの緊急車両が走行していた。。

   

とりあえずここまで

次は避難所のことをまとめようと思ってる。1月14日up

(先遣1月3日から1月12日 次回1月15日から19日)

        

被災地への寄付、情報はレスキューストックヤードHPへ

↓ ↓ ↓ ↓

https://rsy-nagoya.com/

冬に夏祭り

写真を整理していたら

お祭りの写真が出てきた。

そうだ

今年の夏に何年かぶりに広小路納涼祭りに行ったっけ

アップするの忘れていた。

その中にとてもいい感じの写真があった。

寒くなった冬に夏祭りの写真

う~ん 間抜けを絵にかいたようだ。

イベント

設営を含めて3日間

防災関連のイベントブース運営     

ほとんどのブースが建設関係の会社

スーツ姿の営業マンが

あっちこっちで名刺交換をしたり商談をしている。

我がブースは当然商談はないので

閑古鳥が鳴くのではないかと予想したが

災害発生時の車中泊、避難所での様々な問題点と対策、あると便利なグッズなどの紹介

会社の防災関係者、行政や地区の防災担当者など様々な方々が訪れた。

    

   

中にはこんな方も

避難所の実例として

避難直後の寝床と工夫した寝床、をそれぞれを展示した。

これに結構興味をひいた方が多かった。

    

奥は前日1時間ほどかけて作った段ボールベット。

段ボールは備蓄飲料水の箱

メーカーや商品が違ってもおおむね大きさが同じなので都合がいい。

最近のアウトドアブームで自宅にあるマットやエマージェンシーシートを持参すれば完璧

      

中には実践する猛者も

盛況で評判も上々だった。

多くの方と話して、驚くような発想やアイディアを頂いた。

被災地と違った活動から得るものは多いと改めて感じた。

落ち葉

この時期、ドローン飛行場の敵は落ち葉

一晩でコースを覆いつくす勢いで

落ち葉が降り注ぐ。

飛行場についたら

まず落ち葉の撤去作業から始まる。

     

レレレのおじさんのように

竹ぼうきで掃くのが一番早い

おーでかけですか~

あのフレーズを頭の中でぐるぐるしながら

20分ほど掃く、掃く、掃く・・・

    

ちょうどいい位に体が暖まる。

(ビフォアー)

   

(アフター)

     

上を見渡すと爽やかな青空に

これから降ってくるであろう

にっくき葉っぱが

秋らしさを演出している。

     

気が向くと

まめにブログの更新ができる。

そんな自分に驚き…

聖地の石

国道152号線は飯田市と浜松市をつなぐ山深い道

この国道は全国的に珍しく

全線つながっているようでつながってない。

ん?どういうこと?

途中、青崩峠と地蔵峠の2か所は国道は分断されていて

その間を林道がつなげている。

地盤が脆弱でトンネルが掘れないそうだ。

バイクにまたがり

林道、ダート、酷道(国道)を走破するのが大好き

近場では「天龍スーパー林道」「恵那山神坂峠」

そしてこの「酷道152号線」は

聖地としてよく行った。

しかし天龍スーパー林道、恵那山の神坂峠は舗装され

この酷道152号線だけが残った。

しかし、その酷道152号線青崩峠が・・・

技術の進歩でトンネルが貫通したのだ。

   

酷道マニアとしては悲しいのかうれしいのかよくわからない複雑な気分

「貫通石」

貫通する際、最後に発破をかけた岩盤の砕け散った石のことを言う。

全国の国道事務所では主要トンネルの貫通石を配布している。

マニアしか知らない。

   

難関のトンネル工事を乗り越え無事に終わったことは、

難問突破、初志貫徹の意味につながり

合格祈願や安産祈願としての

お守りにもなる

   

数に限りがあるので先着100個の予約配布

当然予約をした。

受け取りは11月末までなので

紅葉の季節で道が混む前に飯田国道事務所へ

   

この石をゲットして

まもなく受験を企んでいる

ドローン実技試験に合格した気持ちになっている。

やれやれ・・・